ネットリテラシーの話

高校の初めてのパソコンの授業で、自由にパソコンを使っていい時間があって、チャットをやっていた生徒が、高校の名前とか個人情報をどうも書いたらしく、それを見た先生が、そういう情報は出すなとか言ってた事を思い出した。

ていうか、初めてネットに触れる生徒がいるなら、最初の授業でネットの危険性とか、こういう事を書いてはだめな理由とか、こういう書き込みが炎上するとか、もっと、基本的な事を教え込んだ方がいいのでは?と当時思っていた。

ネットを始めて、間もなかった私が初めてやったチャットでも、そんな学校名とか個人的な事は書いた記憶はない。

いきなりチャットで情報をさらけ出したあの生徒は、ほんとにネットがどういうものか全く分かってない状態で、パソコンを触ってしまったのだが、今の、SNS使っている人とかは、みんな分かっててさらけ出してる感がある。

 

前に書いた事があるのだが、SNSやブログを見ると、下手な知り合いより、その人の事が分かると。

arutenaira.hatenablog.com

ましてや、顔見知りが見ていたとしたら、ネットでの行動がバレてしまう。

あいつ学校ではさえないけど、ネットでは、はっちゃけてるとか。

なので、私は家族以外にはウェブサイトとか、ブログとか友達にも秘密にしてきた。

ネットの事はネットの事、現実の事は現実の事と分けていた気がする。

 

ネットは、どんなにさえなく、情けない自分であっても、鏡のように映さない。

どんな顔をしているのかとか、どんな感じでパソコンまたはスマホに向かっているのか、全く分からない状態でブログとかも、見てくれる。

それが、ネットのいい所とは言わない。それを悪用する人がいるからだ。

かなり前になるが、私の偽物がある場所に出現して、困ったことがあったり。

 

私はネットリテラシーを誰に学んだわけでもないが、気が付いたら、身についていた。

まだ、ネット黎明期のゆるい雰囲気を経験してきたせいかもしれない。

人生の大半をネットと共に生きてきたのは、よかった事なのかどうかはわからない。

ブログを始めたのも、本当にこれでいいのかと疑問が残ったりしている。

未来の自分が見たら、どう思うか、気になる所ではある。

 

ただ、一つ言えるのは、ネットという存在がある以上、私はネットという手段を手放さないだろうという事。

こんなに便利なツールに慣れてしまうと、抜け出せない。

ただ、ブログはやめてしまうかもしれない。

現実世界で、やめざるを得ない事が起こるかもしれないからだ。

現実世界とネットの世界はセットになっていて、切り離せない。

現実の自分が風邪で寝込んでしまったら、ネットは出来ない。

そのうち、AIがブログを休んでいる人の代わりに、記事を書くようになるようなサービスが出てくるかもしれない。

今までの記事から、詳細を分析して、その人のように書くというか。

それはそれで、面白そうだが、やはり、生身の人間がブログを書いていてこそ、ブログの世界は楽しいのだと思う。